和歌山・湯浅の周辺観光
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湯浅の周辺観光
1◆明恵上人紀州八所遺跡
明恵上人は、承安3年(西暦1173年)に紀伊国在田郡石垣庄吉原村で父・平重国/母は豪族、湯浅宗重の四女の子として誕生しました。
この豪族・湯浅一族は当時、いま紀ノ川市までをその領土としていたその時代の紀州では最大の豪族で城の場所を違いますが、湯浅城・城主でもありました。源平の争いによって、父を、病気によって母をなくした明恵は、9歳で仏のみちにはいることになります。
名誉・利欲がなく純真無垢に生き抜いたことから「生涯不犯」の唯一の清僧」とよばれました。
その修業した地(出生地含む)八ヶ所がここ有田に点在しています。
(いまの国民宿舎「湯浅城」は当時の城跡ではありません。)
遺跡は、金屋町「吉原遺跡」「笈立遺跡」「糸野遺跡」、湯浅町東西の「白上遺跡」、有田市の「星尾遺跡」、吉備町の「神谷後峰遺跡」「崎山遺跡」があります。
これら全てを合わせて『明恵上人紀州八所遺跡』と呼びます。
今回その中で、すはらシーサイドのすぐ近くにある「白上遺跡」と湯浅一族のお寺である「施無畏寺」をご紹介します。
実は、すはらシーサイドハウスに、ツアー・レンタルでこられるかたは、毎回、その目にしているのが下の、霧崎半島ですが、この半島の山並み上が白上(しらかみ)とよばれているところなんです。
また、1日ツアーで訪れる「苅藻島」も上人の遺跡・座像があります。
「苅藻島」はツアー時にご紹介させていただいています。
すはらシーサイドハウス前(横?)の坂道をあがっていくと、
「施無畏寺」がみえてきます、春には桜が綺麗なお寺でもあります。
白上より望む栖原海岸全景
上人はこのような石のうえ(2間ほどの広さ)で
座禅を組み修行されたそうです。
◆濱口悟陵記念会館/津波防災教育センター
みなさんは、「稲むら」、というものをご存知でしょうか?
「稲むら」とは、稲束を積み重ねたものです、(和歌山での方言ではすすき)、江戸時代の後期に「安政南海地震」という関西全域で震度4-6というたいへん、おおきな災害があり、ここ湯浅では津波が押し寄せたそうです、そのとき、「濱口悟陵」(はまぐちごりょう)が「稲むら」に火をつけ、この火を目印に村人を誘導し多くの命をすくった実話をもとにしてつくられたのが「稲むらの火」という物語です。
「濱口悟陵」の防災精神や人命尊重の精神から災害より大切な生命やくらしを守ることを学ぶためにつくられた記念館です。(写真は外観)
○〒643-0071
○TEL 0737-64-1760/FAX 0737-64-1761
○開館時間 午前10時~午後5時(入館時間は午後4時まで)
○休館日 月・火曜日(除く祝日)/12月29日~1月4日
○入館料 一般500円/高校生200円/小・中学生100円
○JR湯浅駅より徒歩約15分
広川ICより北西へ約10分
○和歌山県有田郡広川町広671
館内見取り図
館内にある
津波シュミレーション
ゲーム形式で防災が学べるコーナー
応急⇒復旧⇒予防の順にゲーム形式で防災が学べます。
終了後には判定コーナーで認定証が交付されます。
「稲むらの火」
◆道成寺(天音山道成寺)
安珍・清姫伝説のお寺/和歌山県最古の(大宝元年(701年創建))1300年の歴史を誇り重要文化財の建物・仏像等々多数を所蔵しているお寺です。また、能楽・歌舞伎の題材となり「道成寺物」とよばれる演目をうみだしました、その数は優に100を超えています。また、道成寺には「道成寺の七不思議」とよばれる境内のかくされた不思議があります。
安珍・清姫伝説
一度は耳にした事があると思います。参拝の途中、一夜の宿を求めた僧(安珍)に清姫が懸想(いまでいう一目惚れ)、うらぎられたと知るや大蛇になって安珍を追い、最後には道成寺の鐘の中に逃げた安珍を焼き殺して、自分も自殺してしまうという悲恋の物語です。
安珍・清姫絵巻物(抜粋)
こういった絵巻物をひもとき、住職さんが説法を聞かせてくれます(要拝観時予約)
山 門
(道成寺七不思議のひとつ)
上りやすく降りやすい階段と呼ばれています
実は階段がハの字型につくられているため山門が近くにみえのぼりやすく感じるためだすです
三重の塔
(ここにも七不思議のひとつがあります)
道成寺にいったときに探してみてください。
道成寺の最大の七不思議は?
なんと道成寺にはどこの寺でもあるはずの鐘が無いんです。
これは、1代目の鐘は清姫が溶かしてしまい、2代目の鐘は天正13年(1585年)の雑賀攻めの時に持ち去られて、その二年後に京都、妙満寺に奉納さらたそうです.......。
重要文化財 千手観音
アクセス・MAP
○所在地 和歌山県日高郡日高川町鐘巻1738
○TEL 0738-22-0543/FAX 0738-23-3806
拝観料金・他
○大人(中学生以上) 600円/小学生 300円
○拝観時間 午前9時~午後5時(年間無休)
○拝観所要時間
・境内をひとまわりして、本堂の外からお参り(約10分)
・宝仏殿・縁起堂を有料拝観(約20分)
・宝仏殿・縁起堂を有料拝観して「絵とき」を聞く(約40分)
○絵とき
ここだけの説法で「絵まき」を使い説法を行うものです。
宝仏殿でお仏像の説明を、縁起堂で「絵とき説法」が聞けます。
午前9時から午後4時30分までに、拝観受付窓口へ絵とき説法の希望を申し出てください。
◆白崎海岸
白崎海岸に咲く、水仙の花
あたり一面見渡す限り白一色。もともとは、セメントの原料として石灰岩を切り出していた採掘の場所だったのが白崎海岸です。
採掘が終わり、長い間、地元の人がドライブを楽しむだけの場所だったのですが、いまは、道路も整備され各地から人が集まる、観光スポットに。
どこか異国を思わせる景観ですね
アクセス
湯浅御坊道路広川ICより国道42号経由、紀伊由良駅近くの交差点「里」を右折(駐車料無料)
JRきのくに線紀伊由良駅より中紀バス白崎方面行き、白崎西下車後徒歩1.5km
白崎海洋公園は、入場料は不要です。(除くダイビング施設、オートキャンプ、バンガロー施設)
※ダイビング利用者は駅前より送迎あり(要予約)
◆次の滝
紀州、和歌山で有名な「滝」といえば、頭にすぐ浮かぶのが熊野、那智勝浦の「那智の滝」、一段の滝としては、日本第一位の滝です、「日本の滝100選」に選ばれています。他にも、新宮の「桑の木滝」もその一つです、ただ、どちらも紀伊半島の先端に付近にあり見に行くには、かなり時間がかかります。じつは、ここ有田にも「次の滝」と、呼ばれる滝があるんです、今回は、「次の滝」をご紹介します。
一段の滝としては日本一の「那智の滝」落差133メートル
別名「一の滝」
有田郡金屋町にある「次の滝」落差46メートル
百選には選ばれていませんが「一の滝」に対して「次の滝」と呼ばれます。
落差は46m、約15階建てのビルの高さになります。
これは、大阪の御堂筋にあるビルの高さが最大31メートルに制限されているので、それよりまだ15mもまだ高い、高さということになります、「那智の滝」に比べれば低いんですが、から下展望所から滝壺へと続く散策路があり、マイナスイオンたっぷりの自然を身近に感じることができ、滝壺から見る高さ46mの滝は絶景です。また、夏は深緑・秋は紅葉と四季折々の景観を楽しめます。高所が苦手な人には、お勧めできませんが、旅の思い出に見てみるのいいかと思います。
アクセス
○所在地 和歌山県有田郡有田川町延坂
○TEL 0737-52-2111
○阪和自動車道「有田IC」から県道22号線・国道424号線・県道183号線経由で約20分
○JR紀勢本線「藤並駅」からバスで15分「金屋口」下車、徒歩約100分
○無料駐車場あり
◆九曜蔵(くようぐら)
湯浅といえば、特産品・名産品に有名な、金山寺味噌・醤油があります。
湯浅で創業、明治14年の丸新本家湯浅店のすぐ横に無料見学ができる「九曜蔵」があります。
ここでは、醤油と味噌の製造の工程をみることができます。味噌(金山寺味噌)がつくられる時に、醤油もつくられる事は、ご存知でしょうか?醤油は、味噌をつくる時にでた、余分な水分を調味料としたのがその始まりなんですね、いまは専用に最初から醤油用につくられています。
丸新本家湯浅店は、当HPの「食べ歩き」でもご紹介しています。あわせて、そちらも、ご覧下さい。
直径2.3メートルの現役の大樽ともろみ樽
売 店 醤館(ひしおかん)
醤油の起源は金山寺味噌にあり、紀州湯浅は醤油発祥の地として有名ですが、その起源は鎌倉時代(1254年)にまでさかのぼります。
紀州由良禅寺「興国寺」の開祖「法燈円明國師(ほうとうえんめいこくし)」が、中国(南宋)の金山寺から持ち帰った金山寺味噌(経山寺味噌)が、当時、興国寺では野菜と大豆から作られる金山寺味噌を健康食として盛んに醸造され、やがて湯浅周辺の山漁村に伝わりました。
金山寺味噌を醸造する際、使われる瓜や茄子などの、野菜から余分な水分(たまり)がしみでてきます。もともと捨てられていたこのたまりを調味料として使ってみるとなかなか美味で、そこで初めからこのたまりを利用するつもりでつくれば、「新しい醤(ひしお)」つまり調味料ができるのではないかと考え、改良に改良を重ね、やがて醤油となりました。
これが日本における醤油の起源あると伝えられています。
○ここでは、金山寺味噌の試食と珍しいものでは、醤油アイスというものが食べられるそうです。いちど味見してみるのも悪くはないかも(地元「くろさわ牧場」の生乳+生一本黒豆醤油のコラボ)
お値段は250円
アクセス情報と アクセスMAP
車の場合
大阪方面から高速有田インターで降り、42号線を4キロ南下し、東南道交差点の次の信号左手に金山寺味噌の看板が目印です。
白浜方面から高速広川IC出口交差点右折、R42を北上約5分、青木交差点通過後すぐ右側です。
電車の場合
JRきのくに線湯浅駅下車 国道42号線方面へ徒歩5分
◆湯浅北町
(重要伝統的建造物群保存地区)
日本全国で2012年4月で93地区が選定されています。
湯浅は、中世にさかのぼる醤油発祥の地といわれ、近世以来、有田地方の政治経済の中心地として栄えてきました。また、熊野古道が町中を通っているのは和歌山県広しといえども、この湯浅町だけです。湯浅、山田川の南岸を東西にはしる北町通りには 、 伝統的建造物群 が数多く残り、この東西約400m/南北280mの保存地区には、醤油・味噌醸造業関係の町家・蔵など現役の古建築がおおく残っている場所です。醤油・味噌造りはいまでも昔ながらの手作りのため近代化な工場も湯浅にはなく、観光開発もされていないため、町、全体が前時代の雰囲気を色濃くのこしており、そのなかでもとくに色濃く残っているのがこの通りです
しょうゆ船(鍛治町通り)
麹資料館
(北町通り)
虫籠窓
(むしこまど)
厨子二階と本瓦葺(ついしにかいとほんかわら)
◆甚風呂(戎湯)
駕籠と銭湯の二階
◆深専寺
この深専寺には、この大地震津波の概要を記して、そのおそろしさを後人に伝えた、「大地震津なみ心え之記碑」があります。この災害は地震が2つほぼ時間を空けず起こったという、( 安政東海地震安政東海地震(M8.4)に続き、その32時間後には安政南海地震(M8.4)が連続して襲った)歴史上でもまれに見る、大災害でした。
深専寺 山門「大地震津なみ心え之記碑」
●地震発生2年後、安政三年、深専寺住職善徴上人(承空上人)の代に、この碑が建立されました。全文528字は平易な仮名交じり文です。
碑文(原文)
嘉永七年六月十四日夜八ッ時下り大地震ゆり出し、翌十五日まで三十一二度ゆりそれより 小地震日としてゆらざることなし 二十五日頃ゆりやミ人心おだやかになりしニ同年十一月四日晴天四ッ時大地震凡半時ばかり瓦落柱ねぢれたる家も多し 川口より来たることおびただしかりとも其日もことなく暮て 翌五日昼七ッ時きのふよりつよき地震にて未
中 略
溺死の人もすくなからず すでに百五十年前宝永四年乃地震にも濱邊へにげて津波に死せし人のあまた有しとなん聞つたふ人もまれまれになり行ものなれハ
この碑を建置ものそかし 又昔よりつたへいふ井戸の水のへりあるひハ津波有へき印なりといへれども この折には井の水乃へりもにごりもせざりしさすれハ井水の増減によらずこの後萬一大地震ゆることあらハ火用心をいたし津波もよせ来へしと心え かならず濱邊川筋へ逃ゆかず 深専寺門前を東へ通り天神山へ立のくべし
恵空一菴書
碑文(現代語訳)
嘉永七年(1854)六月十四日、深夜三時頃、大きな地震が起こり、翌日の十五日までに三十一、二度揺れ、それから小さな地震が毎日のように続いた。六月二十五日頃になってようやく地震も静まり、人々の心も落ち着いた。
しかし、十一月四日、晴天ではあったが、午前十時頃また大きな地震が起こり、およそ一時間ばかり続き、瓦が落ち柱がねじれる家も多かった。河口には波のうねりが頻繁に押し寄せたが、その日も大きな被害などもなく、夕暮れとなった。
ところが翌日の五日午後四時頃、昨日よりさらに強い地震が起こり、南西の海から海鳴りが三、四度聞こえたかと思うと、見ている間に海面が山のように盛り上がり、「津波」というまもなく、高波が打ち上げ、北川(山田川)南川(広川)原へ大木、大石を巻き上げ、家、蔵、船などを粉々に砕いた其の高波が押し寄せる勢いは「恐ろしい」などという言葉では言い表せないものであった。この地震の際、溺れ死ぬ人も少なくなかった。
中 略
既に、この地震による津波から百五十年前の宝永四年(1707)の地震の時にも浜辺へ逃げ、津波にのまれて死んだ人が多数にのぼった、と伝え聞くが、そんな話を知る人も少なくなったので、この碑を建て、後世に伝えるものである。また、昔からの言い伝えによると、井戸の水が減ったり、濁ったりすると津波が起こる前兆であるというが、今回(嘉永七年)の地震の時は、井戸の水は減りも濁りもしなかった。そうであるとすれば、井戸水の増減などにかかわらず、今後万一、地震が起これば、火の用心をして、その上、津波が押し寄せてくるものと考え、絶対に浜辺や川筋に逃げず、この深専寺の門前を通って東へと向い、天神山の方へ逃げること。
恵空一菴書
この碑文にあるように、一つの言い伝え(津波の前に井戸水が変化する)だけに惑わされず、海岸線の場合は地震イコール津波警報と受け止めなければならない。
災害犠牲者の死を無にしないためにも災害が発生したら、犠牲者を悼むだけでなく、後世への教訓を残すことこそ重要と考える。
また、地震列島に住む作法として、ここで今地震が発生したら、津波が来たら具体的にどう行動するかを常にシュミレーションし緊急対応を単純明快にしておく必要があると、この碑は教えてくれている。
また、この深専寺には、大木・名木がいくつかあります。
山門右側の塀の内側にある「ねじき」はその幹がくねるようにねじれていて見るものを圧倒する迫力があります。
江戸時代後期に描かれた紀州名所図会
(大地震前に描かれたため山門の碑はありません)
所在地 寺町北側
特徴 江戸末期建立
石屋(西森)忠兵衛が記碑を刀刻
石の高さ1.8m、幅62cm、台石とともに高さ2.65m
和歌山県指定文化財
MAP
◆立石の道標
所在地 道町西側
特徴 天保9年(1838年)建造
高さ2m
石柱の4面で方角を示す
◆有田川鉄道公園
2002 年に廃線となった有田鉄道の姿を復元しようと、地元鉄道保存会の協力のもと「有田川鉄道公園」がオープンしました。
有田鉄道を中心に有田川町の自然環境や建築物などの地域の風景を再現した大ジオラマ(Nゲージ1/150)が展示されています。
また、旧有田鉄道車庫から同館までの約140mを往年の車両「キハ58」と「ハイモ180」が定期的に発着します。
大ジオラマ(Nゲージ1/150)
入り口に展示されているD54SL
この車両は両方
(大も小も公園内を走っています)
藤並駅と同公園を結ぶ無料巡回遺跡バス
○JR藤並駅から車で約15分(駅からは無料巡回バスもでています)
○有田IC 金屋・清水方面下車 国道22号線東へ約10分
○〒643-0801
和歌山県有田郡有田川町徳田124-1124-1
○営業時間 午前10時~午後5時
○休館日:木曜日(祝日は営業)、年末年始
○入館料:大人(高校生以上)200円/
子供(小学生以上)100円
Nゲージ利用料等は別
○TEL 0737-52-8710
◆ファーマーズマーケット ありだっこ
店舗正面
店内風景 1
店内風景 2
毎日、とれたての地場産農産物が品揃え豊富に並んでいます。それぞれの農家が名をいれて販売しているため、安心して食べることができる、果物・野菜・お米・加工商品・花・雑貨等々がお手頃な価格で直接、消費者に提供されています。
アクセス
○所在地 和歌山県有田川町土生33-1
○TEL 0737-53-1311/FAX 0737-52-8110
○営業時間 午前9時~午後6時まで
○定休日 なし(1月1日~4日までは年末年始定休)
○JR藤並駅から徒歩で約18分
○有田ICより約600m